「反応がないのに、続ける意味なんてないですよね」
何本か書いて、投稿して、いいねはつかない。コメントも来ない。そもそも誰が読んでくれているのかも分からない。その状態で次の一本を書けというほうが、無理がありますよね。
いや、そこは違うんです。
今回は、反応の数を見るのをやめて「一人が見ていれば続ける」という基準に置き換えた、という話です。
先に言っておきますが、僕は発信が得意で始めた人間ではありません。誰かに何か言いたいことがあったわけでもないんです。当時始まったばかりの中継の機能を、ただ使ってみたかっただけでした。しかもその日は、自分の段取りが崩れて一人で作業場に残っていた夜です。胸を張って始めた話ではないんですね。
順を追って書きます。まだ僕が家業の畳店をやっていた頃からです。
発信のハの字もなかった頃の話です
畳店の4代目が作業場でやっていたこと
僕は家業の畳店の4代目でした。
畳店といっても、社長の子どもが一日中畳を作っているわけではありません。僕がやっていたのは、注文を取ってくることと、現場の段取りを組むことと、上がってきた仕上がりを見ることです。実際に手を動かして仕上げるのは職人さんの仕事でした。自分でも作れないことはないのですが、普段からやっているわけではないので、腕は職人さんに遠く及びません。
時期の話もしておきますね。SNSに中継の機能が付き始めた頃です。今のように、誰かが毎日ライブをやっているような時代ではありません。知り合いで使っている人は一人もいませんでした。どのサービスだったかは書きません。記録が残っていないので、確かめられないことを書くわけにいかないんです。
そして当時の僕には、情報発信という発想そのものがありませんでした。畳のことをネットで語って何になるのか、と本気で思っていましたから。
仕上がりが直らないので「帰れ」と言った日
その日は、上がってきた畳の仕上がりが悪かったんです。
僕としては当然、こう言います。「この仕上がりだと出せないので、やり方を変えてください」返ってきたのは「できません」でした。ああですね、こうですね、とやりとりはするんですが、結局そこから動かない。
それで「帰れ」と言って、帰ってもらいました。
念のために書いておくと、腹が立ったから帰したのではないんです。その仕上がりのままお客様の家に納めるわけにいきません。出せないものを出せないと言ったら、直せないと返ってきた。だとすると、その日その場で残っている選択肢は、僕が自分でやるという一つだけでした。
一人で残業しているのは、自慢できることではありません
今でもたまに見かけます。
「今日も徹夜で残業します」とSNSに上げている人。純粋にすごいなと思う一方で、人にやらせたらいいのに、とも思うんですよね。本当に手が回らない人ほど、忙しいとは言わないものです。
一人で遅くまで残ることになる原因は、だいたいこの三つのどれかです。
- 段取りが悪くて、その日のうちに仕事が回らなかった
- 自分の腕が足りなくて、人に任せられる形にできなかった
- 人に頼めないと思い込んでいて、最初から全部抱えている
どれも敗北です。少なくとも僕は、自分についてはそう考えています。
あの夜の僕は、まさにそれでした。職人さんに直してもらえなかった。かといって自分に仕上げる腕があるわけでもない。そんな状態で、誰もいない作業場に一人。ってしょげてました。
人が使い込んだ機械は、他人の車のブレーキと同じです
さらに困ったことがありました。
作業を始めようとして、機械が言うことを聞かないんです。
人が乗っている車に乗せてもらうと、ブレーキの効きが自分の車と全然違うことがありますよね。クラッチのつながる位置がおかしかったり、アクセルが妙に軽かったり。乗っている本人はそれで慣れているので、何もおかしいと思っていません。機械もまったく同じでした。
毎日その機械を使っている職人さんは、自分の癖に合わせて設定を寄せていきます。たまにしか触らない僕にとっては、そのすべてが狂った状態に見えるわけです。お前むちゃくちゃな使い方してるな、というところから始まりました。
つまり僕は、畳を作る前に機械を直すところから始めたんです。一枚も仕上げていない段階で、時間だけが過ぎていく。それが、この夜の状況でした。
イライラしながらカメラを置きました
使ってみたかっただけなんです
夏でした。
作業場を開けているので、蚊が飛んできます。手はふさがっているので、刺されても払えません。機械はまだ直っていない。畳は一枚も仕上がっていない。
惨めというのはこういう気持ちを言うんだなと思いました。
そこで、なぜかこう思ったんです。よし、もう今日はネット中継しよう、と。
いま振り返っても、たいした理由はありません。当時始まったばかりの中継の機能を、使ってみたかっただけです。誰かに何かを伝えたかったわけではないんです。お店の宣伝でもありません。畳の作り方を教えようという気も、これっぽっちもありませんでした。
言い換えると、目的がなかったんですね。半分は投げやりでした。
中身のない中継でした
カメラを置いて、そのまま作業に戻りました。
台本はありません。挨拶もしていません。映っていたのは、こういう映像です。
- 中年の男が一人で機械をいじっている
- ときどき蚊を追い払っている
- 畳は一向に仕上がらない
自分で言うのもなんですが、見どころが一つもないんです。情報もない、進行もない、オチもない。今どきのライブ配信と比べたら、成立していないと言われても仕方がないと思います。
だから僕も、誰かが見ているとは思っていませんでした。見せる気がなかったので、当たり前ですよね。
最後までずっと見ていた人がいました
では、その中継はどうなったか。

答えは意外だと思います。
一人、最後までずっと見ていてくれた方がいたんです。
当時、その方とは面識がありませんでした。知り合いが気を使って見てくれていた、という話ではないんです。Twitter経由でたまたま流れてきて、そのまま見てくださっていた。まったくの他人が一人、僕が中継を切るまで見ていた。それだけです。他に誰が見ていたのかは分かりません。
このとき僕が思ったのは、これです。見る人いるんや、と。
何と比べて驚いたのか、も書いておきますね。
比べたのは、その日の僕自身の期待値です。その日の期待値はゼロでした。宣伝でもない、面白くもない、情報もない、しかも作っている本人が不機嫌。ゼロだと思っていたところに、一人いた。これは1が2になるより、はるかに大きい変化なんです。
そうなんです。ゼロと1のあいだにだけ、続けられるか続けられないかの境目があります。
反応の数を見ないことにしました
一人が見ていれば続ける、という基準に置き換えました
あの日から、発信について僕が見る数字は一つになりました。
見ているのは、ゼロか、ゼロでないか。これだけです。
なぜかというと、数を基準にすると、こういうことが起きるからです。
- いいねが3件だと「反応がなかった」ことになる
- 前回より減っていると「失敗した」ことになる
- 減った理由を探して、内容を的外れな方向に変えてしまう
3件というのは、3人が自分の時間を使って見てくれたということですよね。それを失敗と呼んでしまうのが、数を基準にするということなんです。そして失敗と呼んだ本人が、いちばん先にやめます。
一人を基準にすると、判定はまるで変わります。一人でも見ていれば、その回は成立です。成立した回の次は、当然また出します。だから続くんですね。
これは経営の相談を受けているときとまったく同じ構造だなと思います。目標の置き方を間違えたまま走ると、途中の努力が全部むだになる。基準がずれていると、うまくいっている状態を自分で失敗と判定してしまうわけです。数を数える前に、何をもって成立とするかを決めておく。順番はそっちが先なんです。
僕はそこから、長く配信を続けることになりました。上手になったからでも、需要を見つけたからでもありません。やめる理由がなくなったからです。
発信が止まっている人へ
いま発信が止まっている人を見ていると、理由はネタ切れではないことが多いんですよね。
書くことがないのではなく、書いても何も返ってこないから手が止まっている。点数が出ないまま、テストだけ受けさせられている状態です。そりゃあ続きませんよね。
だとすると、やることは決まってきます。
まず、成立の条件を一つに絞ってください。一人が見ていたら成立、でいいと思います。そのうえで、数のほうは見に行かない。見に行くと、必ず前回と比べてしまいますから。
それと、きれいに作ろうとしなくていいんです。僕が最初に出したのは、蚊を払いながら機械を直しているだけの映像でした。それでも一人は最後まで見ていました。出す前に整えようとするから、いつまでも出せないんですね。
仕上がりが直らなくて職人さんを帰し、一人で残って機械の修理から始め、蚊に刺されながら投げやりでカメラを置いて、それをずっと見ていた人が一人。僕の発信は、そこから始まって長く続きました。
