親子じゃなく、社長と番頭
ナイトクラブでギターを弾いたり、お世辞にも立派とは言えない卒業後の過程を経て、4代目として家業に入りました。ただし社長は父親です。自分はナンバーツーの番頭でした。
実家に入るわけですから、OJTも入場教育もありません。規律は自分で築いていきました。入社して最初にやったことは、父親を「社長」と呼ぶこと。
ケジメと線引きです。会社の中では親子じゃなく社長と番頭です。その境界線を自分の側から引きました。プライベートでも父親として接しませんでした。父親が引退するまで、ずっとです。
表では逆らわない、裏では全て握る
人前では社長に絶対に逆らわないNo.2像を徹底しながら、実質的な経営判断は全て自分が握っていました。人生のどの場面でも親に甘えることがあっては気が緩む——そう自分を戒めていました。
しかし、このままでは会社が持ちません。親父は自分の店だとばかりに経費を湯水のように使う。毎月聞いたこともないスナックからの請求書が届いていました。そんな金額も積もり積もって毎年1000万単位。それを諌めるのもお金を管理する番頭の仕事でした。
「全員の給与を減らし、会社を立て直そう」
働いても働いても現金が消えていく状況では会社が潰れてしまいます。このままではいけないと父親に「全員の給与を減らし、会社を立て直そう」と何度も懇願しました。その時に父親が私に見せた憎しみに溢れた表情。その理不尽さは今でも忘れることができません。
そんな経緯もあり、年収が200万しかなかった時期があります。奥さんはスーパーで菓子パンを買いたかったけど散々迷って、節約のために食パンを涙ながらに選びました。子供はまだ小さかったんです。
番頭の仕事は華やかな表舞台じゃない
外から見たらブラブラして頼りない息子が実家にいてる、番頭みたいなことをやってるらしい、そう見えていたと思うんです。しかし番頭の仕事って華やかな表舞台じゃないんですよ。
管理、クオリティチェック、請求漏れの確認、報告の徹底。地味で、誰も褒めてくれない仕事の積み重ねです。
誰がとってきた案件なのか、納品したのに代金を払ってもらえないことも一度や二度ではありませんでした。しかも相手は反社会的な人。そんな状況で取り立てに行かされるのも、決まって責任者として向かっていくのは番頭の私でした。
帰り道に、普段飲まないワンカップのお酒を飲みながら天を仰ぎました。がむしゃらにやっても現実は変わりません。逃げたくなる夜は一度や二度じゃありませんでした。
この経験がRMMSの原点になっている
父親との対立、年収200万、年間5000時間の残業。そういう状況で「経営の話と家族は別だ」と言われても、実行できるはずがないんです。
だからRMMSの経営計画合宿では、プライベートの問題も扱います。「親父に頭を下げる」「妻にこう伝える」——そういうことを経営計画に書き込みます。
家族に迷惑をかけてきたからこそ、独立後は家族を犠牲にしない経営を基本に据えました。切り離すのではなく、一緒に設計します。